現に、ボクがお客さんのところに行った時でも、
『以前、近所の機械屋につくらせた』 という話はちょいちょい耳にしますし…
でも、思うんです。
確かにローカルでも造れるのだけど、ただ、『造れるというだけ』なんじゃないのか? と。
何が言いたいのか? というと、そんなローカルなところにブリスター包装に関する薀蓄(うんちく)
が語れるのか? ということです。
負け惜しみで言ってるわけではありません。
〝機械という姿〟は真似できても、それに纏わる事がらまではできないという意味です。
もし、機械さえ手に入れればそれでいいって思われていて、熱溶着の根本的なところや、
成形容器がどうのなど、直面する問題を自社で解決できるのであれば、どうぞ、ローカルに依頼してください。
その方が、手ごろな値段で手に入るかもしれませんね。
でも… 技術の根本って、ただ作れるっていうことだけじゃないと思うのです。
そればっかりをやってきたところには、それなりの蓄積があるわけで、ノウハウも当然あるわけです。
ブリスター包装で言えば、熱溶着の部分とか、台紙の印刷・インクの関係のところとか、真空成形の部分とか・・・
もっと言えば、ブリスター包装機をつかった前後工程の作業性とかオペレーション全般とかのうんちくも含めて、
全部が技術です。
どれくらい語れるか? それが重要なポイントだと思うのです。
俗にいう、思い入れの部分になるのでしょうか…
つまり、うちに限らず、専門でやってるところには専門でやってるところなりの知識や思い入れが
あるっていうことです。
例えば・・・ お鮨をイメージしてみてください。
ただ握れますって言う鮨屋と、素材を吟味してそのうんちくを語れる鮨屋と、どっちがよいか?
車もそうでしょう。
ただ車を売るのではなく、車に対する造詣が深い人から買う方が安心できますよね?
そんな風に思いませんか? それと一緒だと思うです。
もっとも、そのモノだけが必要であって、その他には何も求めない… と言うスタンスであれば
別なのでしょうけど。
ここ最近、ちょっと思ったんで書いてみたのですけど、皆さんは、どう思われますか?