代表紹介

佐薙啓太郎(さなぎけいたろう)

(有)大青鉄工(ブリスターパック・ラボ) 代表取締役・社長
佐薙啓太郎 さなぎけいたろう

1971年 大阪生まれ

資格:
包装機械相談士、スキューバ アドバンス、
心理カウンセラー、魔法のしつもん認定講師

パッケージングエンジニア証書

大切にしていること

「よく聴くことと、よく見ること」です。そこに解決のヒントや糸口があると思っています。

もうひとつは、
「固定概念に縛られず、いろんな発想、いろんな可能性、いろんな視点で考えてみる」
ということを大切にしています。

佐薙啓太郎

 

なんで、この仕事をしているのか? -想い-

大きな理由のひとつが〝作業現場の笑顔のため〟です。
この点は、自分で機械を考えるようになってから、すごく思うようになりました。

作業現場にお邪魔して、しんどそうに、つらそうに、めんどくさそうに
仕事をしてるのをみていて、それが改善できるプランを考え、取り組んで、
うまくいった時のお客様からの「ありがとう!」にすごく喜びを感じます。
オーバーに言えば、その一言のために仕事をしてる・・と。笑

あともう一点、機械は家などの建造物と違って、〝動き〟を伴います。

安全、確実に動くことが大前提。

一連の動作の仕組み(メカニズム)を考えることにも、楽しみを感じていて、
自分がイメージしたメカニズムがきちんと動作して、それが、お客様の作業現場の〝不の解消〟
につながった時、喜びがMAXになります。(笑)

 

生い立ち -前職時代-

学校を出てすぐに親元を継ぐという選択もあったのですが、それをすると世間知らずに
なってしまうと思ったので、新しくできた半導体工場に1期生として就職しました。

そこでシステムエンジニア(SE)を9年ほどしてました。

SE時代に何をしていたのか? というと、

半導体製造では、半導体製造プロセスごとにさまざまなメーカーの機械を使用します。
そのため、同一プロセスであってもメーカーによって操作方法が異なるため、
製造スタッフにとっては、いろんな操作を覚える必要があり作業がものすごく煩雑になってしまうんです。
操作ミスを起こしてしまうと、数百万、数千万、それ以上の損害がでてしまいます。

こういった問題を改善するため、情報(オンライン)システムを構築して、
オペレーションを統一化、簡素化し、製造スタッフへの作業負荷を低減させるという
仕組み創りの業務に携わっていました。それと同時に、
各製造装置から得られる処理時のデータを自動的に上位のホストコンピュータへアップロードし
蓄積していくといったシステムも開発していました。

90年代初頭のちょうど世間にインターネットが出始める前に情報システムやネットワーク関連に
携われたというのはものすごくラッキーでしたね。

あと、半分外資系な会社でしたので、仕事でアメリカに行く機会もあったり、
会社組織としてもそれほどキツクなく、有休を利用してダイビングに行くなど、かなり有意義な時間を
過ごさせてもらいました。

振り返ってみれば、SE時代には、【人】【物】【情報】の流れを如何に捉え仕組み化していくか?
ということを実践を通して学べたと思います。

 

生い立ち -家業を継ぐ その1-

サラリーマン生活に一区切りをつけ、親元に戻ったのが2000年です。

戻ってきてしばらくは、分野が全く違っていたので何もかもが新鮮…
というより、正直なところしばらくは困惑の連続でした。(汗)

やってみたい、やりたいことも、技術が伴わないのでままならず。

自分で判断できないというのが、ものすごく歯がゆくもあり、嫌でもあり…。
親父からは、あれやっとけ! これやっとけ! と雑務のような仕事ばかり。
一応、機械工学を専攻してきたものの学校で習うことと実際とでは当然ちがうわけで…。

今までは、サラリーマンであったとしてもある程度自分の好きなようにやっていたのに、
ここでは、なんだか自分の居場所が感じられず。

何で帰ってきたんやろ?
前のまま仕事してたら今頃は…?

と思う日々が、数年間は続いていましたね。

独りでできるコトと言えば、パソコンくらいでしたので
ネットワーク環境を整えて、電子メールを使えるようにしたり、
ホームページを自作したりということで、自分の居場所を確保してました。

でも、今でこそ当たり前ですが
その当時の町工場としては、電子メールもホームページも持ってるところが稀で
先端をいってる感じでしたよ。笑

が、ある時すごい転機がやってきました。

 

生い立ち -家業を継ぐ その2-

機械の設計はそれまで外注に頼んでいました。
どんな些細な案件も外注先の設計屋を呼んできて打ち合わせして構想図から描いてもらう。

案件が決まって打ち合わせをする段階で、一応、設計屋にはこちらの予算や
機械的な構想・構成もお伝えするのですが、 設計屋は、〝ご自身のポリシー〟で図面を描きます。

概ね、部品点数が多くなる方向で図面を描く傾向があります。

なぜなら、だいたいは図面の枚数で工数単価(仕事料)が決まってくるからです。
彼らも独立した商売なので部品点数が多い方が図面枚数も増えて単価もあがります。

でも、中には、『これはどうやって加工するんだい?』という図面もあったりして…。

確かに、そこにはいろんな考え方があって勉強にはなるのですけど
ちょっと疑問に思いながらも、外注任せでやっていました。

そんな時、ある案件で外注していた設計屋がなんと、設計ミスをしたのです!

図面通りに組み立てて、さぁ動作確認! と言う時に致命的なミスが発覚しました。
が、その設計屋は自分のミスの責任をとるわけでもなく『すんません…』の謝罪のみ。

駆動部に関わることだったので、それが正常ではないと機械として成立しない…。

設計ミスが起こると修正や調整はすべてこちらの作業になります。
おまけに、その時は高い購入部品を使った図面を描かれていて…。(汗)

もちろん、大赤字でした。(滝汗)

よくよく考えてみると、設計を外注に託すということは
製作に係るコストコントロールもしづらく、第一、技術の根幹を握られてしまう。

加工のしやすさや、組み立てやすさまで考慮して図面を描いてくれるのは稀なのです。
購入部品に至っても同じく、購入コスト面まではあまり意識してくれない。

そもそもでいうと、
うちとしての〝設計思想(ポリシー)〟というのが薄らいでしまう危険がある。

その時思ったんです。
これくらいやったら、設計はオレでもできる!!
それに、こっちで描いた方がコスト計算しやすいし、外注に出す分、経費も浮く!!

自分の思った通りの自分のポリシーで描こう! と。

そこから、〝ボクによる〟設計がスタートしました。

確かに、設計することにはたいへんさもあります。

でも 、自分が考えた通りのメカニズムや仕組みでうまく動いたときの達成感と
それによってお客さんに喜んでもらえた時のことを思うと仕事上の張り合いがすごく生まれました。

 

生い立ち -家業を継ぐ その3-

設計することに新たな居場所を見いだしたのち、もう一つの転機がやってきました。

それは、〝社長〟への就任。

といっても、そんなにドラスティックに変わったわけじゃないのですけどね。
〝そろそろ、代替わりしとこか?〟という感じのノリです。 笑

それまでって、ほぼ、家と工場の往復で1日が終わってて、どこかへ出向くとか
出かけるというのは、機械の設置か打ち合わせくらい。

〝誰かから何かを学ぶ〟ということは全くしてなかったんです。

興味のあるテーマはなくもなかったんですけど、
正直なところセミナーに行けるという雰囲気でもなかったかな…。

『そんなもん行く時間があるんやったら、仕事しとけ!』という親父の一喝と
プレッシャーがね。 (汗)

それに、ボク自身も『どうせ、講師の金儲けやろ…』
くらいにしか考えてなかったんです。

でも、社長に就任することになって、親父にもボクにもそのマインドが
ちょっと変わってきました。

……… このままじゃイカンなと。

ちょうど、その頃経営者が集まるようなセミナーへのお誘いなどもあって、
それ以降、セミナー三昧な日々を過ごすようになりました。

会計や税理、ホームページの作り方など直接仕事に関連する事がらはもちろん、
マーケティングや、心理学、ホリスティックやカラダのこととか…

興味の湧いたテーマに対しては、ジャンルを問わずあっちこっちへ。笑
講師として登壇する機会を頂いたりね。

お陰で、幅広い方々と繋がることができました。

 

生い立ち -家業を継ぐ その4-

何かに対して、興味関心を持つことはすごく有意義なことだと思っています。

それに関してのトピックとしては、アメリカに行ったことです。

ある機構(メカニズム)を考えるにあたって、一旦は、リリースしたものの
正直、ボク的にはあまりいい出来ではなかったんです。 (冷汗)
※ もちろん、機械は機嫌よく動作して、現在でも使って頂いてます。

いろんな情報を辿っていくと、その答えがアメリカにありそうだとわかって、
しかも、もしかしたら展示会に行けばわかるかもしれない! ってことで
衝動にかられて、20数年ぶりにアメリカへわたりました。

久しぶりのアメリカ。 初めてのシカゴ。

PackExpo 2016 in Chicago

PackExpo 2016 in Chicago

馬鹿でかいスケールの展示会場に圧倒されながら、お目当てのブースへ。

そこで、いろんな情報を得てきました。

百聞は一見にしかず! やっぱり、自分の眼で見るのが一番!
だと確信しました。

戻ってきて早々に、
新しい構想でのメカニズムを創りだすことができました。